«前の日記(2005-05-20 [Friday]) 最新 次の日記(2005-06-01 [Wednesday])» 編集

† 詰 人 日 記 † −In order for the past when it is embossed to become vital force to the future,
it stuffs and even the scream which does not become voice of the everyday life
which passes away it would like to keep changing today into the sustenance which lives.−

2005|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2006|01|02|03|04|05|06|10|11|12|
2007|01|02|03|04|05|
2012|08|09|10|11|12|
2013|01|02|03|04|

2005-05-26 [Thursday] 日常 [長年日記]

朝っぱらから

就職部の方と面談してみたり。

今は努力が売り物になる時代なんですね・・・

なんつーか自分の努力観と世間一般の見方とが

あまりにかけ離れているっぽいのでちとびっくり。

努力というのは、

「本当に生きるか死ぬかの限界まで突き詰めてやる」とか、

「何かを継続してやり続ける上でそれが何らかの苦痛を本人にもたらすにもかかわらず、

その苦痛を乗り越えてなお継続してことを行う。」とか

そこまでやって初めて言える事なんじゃないかと思うのですが・・・

学生が勉強したり、勤め人が働くのは、努力とは言わないのでわ?

それを努力と言えるってことは、

勉強とか仕事とかを苦痛に思っているのかなぁとか思ってみたり 。

自分の場合、幸いに今やってることは苦痛でもなんでもないんで

自分がやってることを指して「努力してます」とかは

口が裂けても言えることじゃないと思ってます。

まぁ、結局は自己基準で判断するしかないから

向こうの判断する「努力の基準」と

自分の判断する「努力の基準」が違うのは仕方の無いことだけど

個人的な意見としては、そういうの(「努力してます」とか)をアピールポイントにするのは

努力してる人に対する冒涜のような気がするのでやりたくないなぁ、とかなんとか。

「当たり前のことを当たり前にする」

それが売り物になる世の中になってしまったんですねぇ・・・

なんだかなぁ (´・ω・`)

お名前:
E-mail:
コメント:

† 詰 人 日 記 †  −浮き彫りにされた過去が未来への活力となるように
詰み逝く日々の声にならない叫びすら今日を生きる糧に変えていきたい。−
Return 2 -Felix culpa-