it stuffs and even the scream which does not become voice of the everyday life
which passes away it would like to keep changing today into the sustenance which lives.−
ってことで、福岡校まで企業説明会に行ってきました。
まぁこれまでもちょくちょく行ってた福岡校なんですが相変わらず感じ悪いです。
どーも向こうはこちらのことを分家くらいにしか考えてないっぽくて
伝達とかもいい加減だし、そのくせ態度は横柄だし
良くも悪くも日本人の悪いところの縮図が垣間見えてげんなり。
大体、以前向こうで検定を受けたときも結果の転送が1ヶ月以上かかってたし
人をなめるのもいい加減にしろよ、と萎えまくり。
今日も今日とて、マナーが悪いと言うことで小言を言われたんですけど
確かに向こうの生徒のマナーは悪かった
学生という立場に甘えていると思う
だから(甚だ都合のいい話だけど)連帯責任ということで、それは甘受しよう。
▼ しかし
多分その人の性格なんだろうけど、すごい粘着質な小言だった。
その上、話してる本人はポケットに手を突っ込んでる状態。
お前もマナーがなってないから!
つか、人を指導する立場の人間として
明らかにその態度は間違ってるから!
上がこうなら下がああでも仕方ない、とか
率先垂範って言葉知ってるか?とか
言いたいことは山ほどあったけど、じっと拳を握り締めて我慢汁。
昔ならその場で途中退場したり
その場で口に出して糾弾したりしてたけど
その頃に比べると自分も随分丸くなったなぁ、とかなんとか。
・・・もっと昔なら手が出てるしね(苦笑。
大人になるっていったいなんなのだろう?
処女や童貞でなくなることか?
自活できるようになることか?
腹芸ができるようになることか?
世の中そんなもんだ、と全てを悟りきったような顔で呟いて
いろいろなことを割り切って諦めていくことなのだろうか?
確かに実際問題、腹芸や、本音と建前ってのは大事だと思う。
自分の気の合う人間とだけ付き合うというわけにはいかないし
それでも自分が社会的生物である以上なにかしらの集団には属さないといけない訳だから。
だから当然、自分も本音と建前は使い分けるしある程度の腹芸もこなして生きてきている。
けど、それに甘えるのは嫌だ。
本音と建前が違うという現実に甘えるのは嫌だ、と。
人付き合いにおいてはそうもいかないだろうけど
こと仕事とか、そういう自己の責任や能力が問われる場面において
理想を建前ということで済ませてしまい、
現実に満足し理想の追求を諦めるということだけはしたくない。
確かに理想と現実の間の隔たりはなかなか埋まらないと思う。
しかし、諦めてしまえばその差は永久に縮まらないけれど
埋めようとすればいつかは埋まるかもしれないし
いくらかはそこに近づくことはできるのではないだろうか。
そして、そこに近づこうとすることこそが大事なのではないだろうか。
そういうことを踏まえた上で自分なりの大人像というものを考え
そしてその理想に近づけるよう努めていきたいなぁ、とかなんとか。
そんなことを考えている今日この頃だったり。
説明会の時の小言があまりに噴飯ものだったんで帰りにゲセ。
交通センター内のナムコランドに寄った。
やぁ、なんか幼稚園児のかぁいいおにゃのこが
エスカレータの上で一人チアリーディングしてるんですけど。。。(汗。
それも幼稚園の制服姿ですごい嬉しそうに
とても綺麗な、真直ぐな目で僕を見ながら・・・
苦笑するくらいしか僕にはできなかったわけで
注意した方がいいのかなーとか
それともめんこいねーで流すべきなのか
こういう時って反応に困るよなーとかしみじみ思ってみたり。
実際、皆さんだったらどうします(苦笑?
結局またオチがつく訳で。。。
詰み逝く日々の声にならない叫びすら今日を生きる糧に変えていきたい。−
Return 2 -Felix culpa-